2020年03月29日
桜サクラ咲いた
今日は寒かったですねぇ。
春の雪
うちの近所ではほとんど積もらなかったので良かったです。
先日、茨城県常総市を流れる東仁連川(ひがしにれがわ)沿いに咲いている桜を見に行きました
ここは何度か行っていて、母も連れてきてあげたことがある場所。
平日だったからかコロナの影響か、この日はだーれもいませんでした。
穴場なのか、独り占め
でもちょっと早かったかな。
7、8割だったかも。
それでもやっぱりソメイヨシノは儚い美しさがありますね。
レッドアロー3号ともパチリ
桜と菜の花と、赤が差し色になってお気に入りのワンショットになりました。
このあとは、八千代町の八千代グリーンビレッジまで足を伸ばして、そこで昼食。
いつもながらコンビニのおにぎりですが
おじいちゃんやおばあちゃんたちがグランドゴルフをやっていて、それがまた上手い
距離感とか力加減とか、なかなか侮れない人も多かったです。
このくらいの歳になったら、私もやろうかな。
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2020年03月22日
焼津行202002
先月、母の故郷でも私の生まれ故郷でもある静岡県焼津市に行ってきました。
親戚への報告も兼ねて。
焼津と静岡には親戚がいるので、祖父母のお墓参りも兼ねての帰郷。
帰郷といっても、私は生まれてすぐに焼津から静岡、そして東京へと引っ越したので静岡のことはあまり知らないんですけど
もちろん物心ついてから両親の帰郷についていって、自分が焼津で生まれたと知らされ、「あ、そうなんだ」と思ってたわけで。
それでもこの町は大好き
写真は別ウインド等で大きくして御覧ください。
どこからでも富士山が見えます
海と富士山なんて最高の被写体ですもんね
でも私のお気に入りは、港町としての焼津🚢
海の風景で一番好きなのが、漁船が並ぶ港の風景。
砂浜とか岩礁とか、そういうのではなくて生活感たっぷりの港。
ただ東日本大震災の津波の映像を見て、町を離れる人も多くなったと聞かされます。
確かにここは平坦な地形で、高い場所があまりないんですよね。。
昔と比べて…行ったのが土日ということもあってか、休みの店も目立ちましたが、なんとか活気を取り戻してほしいと思いました。
本当にいいところなので。
右下は焼津神社。
ここで格好のお守りを見つけました。
「克守」と書いて勝守り。
勝負に勝つというより、己に勝つ。
リアルろーにんの私を知っている人は、きっとぴったりだ!って思うかも
これは従兄弟と行った小川港魚河岸食堂(こがわこううおがししょくどう)の焼津定食。
もう最高
飾り気はないけどどれも新鮮で、何から何まで美味い
考えてみれば静岡の水は富士山の伏流水。
不味いわけがないんです。
それで炊いたご飯や味噌汁、具材もすぐ目の前で獲れた食材ですからね。
港で働く人達も通うので、ごまかしが効かないということです。
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泣いてる男
母が亡くなってからしばらく、コタローも寂しいのか、今まで以上によく寝ているようになりました。
甘ったれ具合もますます激しくなったというか、人がいたりニオイのするところで過ごす時間が増えてきたような。
なんだか泣いてるみたいで。。
母が入院中はたびたび叔母が来てくれたのですが、やはり姉妹だけあって似ているのでしょうね。
自宅では猫飼いの叔母にコタローもすぐに懐いて、まるで母と接しているようでした。
今はもう元通りの甘ったれ具合になっているところは。やっぱりコタローも受け入れたということなのでしょう。
まぁ、どっちにしろ甘ったれは治らないんですけど
2020年03月20日
彼の岸へ
お久しぶりでございます。
ほぼ2ヶ月ぶりでしょうか。
さて、何からお伝えすればよいやら。。
今年1月、母が亡くなりました。
家のことをいっさいまとめていた母なので、亡くなったあとの様々な手続き等が忙しく、私の頭も混乱状態??
哀しむまもなく雑用に追われていた次第です。
昨年7月から1ヶ月入院。
ひと月ほどで退院するも、その後再入院して、この1月に身罷ったということで。
今日はお彼岸の中日。
本当の四十九日は少し前に過ぎてしまいましたが、お寺の都合もあって本日無事に四十九日と開眼供養の法要を終えました。
ホッとしています。
亡くなった日は6、7時間母と一緒に過ごせました。
とても濃密な時間で、今でも脳裏に焼き付いています。
…キツかったなぁ。。
でも逝くときは穏やかだったので、看取りもすることもできて幸いだったと思います。
コタローはしばらく母のベッドで寝ていました。
ニオイが残っているのでしょうね。
先月は母の故郷でもあり、私の生まれ故郷でもある静岡焼津へ行ってきました。
そのときのお話等は、またぼちぼちと。
あ、私はもう大丈夫なので、くれぐれもお気遣いなく。
ほぼ2ヶ月ぶりでしょうか。
さて、何からお伝えすればよいやら。。
今年1月、母が亡くなりました。
家のことをいっさいまとめていた母なので、亡くなったあとの様々な手続き等が忙しく、私の頭も混乱状態??
哀しむまもなく雑用に追われていた次第です。
昨年7月から1ヶ月入院。
ひと月ほどで退院するも、その後再入院して、この1月に身罷ったということで。
今日はお彼岸の中日。
本当の四十九日は少し前に過ぎてしまいましたが、お寺の都合もあって本日無事に四十九日と開眼供養の法要を終えました。
ホッとしています。
亡くなった日は6、7時間母と一緒に過ごせました。
とても濃密な時間で、今でも脳裏に焼き付いています。
…キツかったなぁ。。
でも逝くときは穏やかだったので、看取りもすることもできて幸いだったと思います。
コタローはしばらく母のベッドで寝ていました。
ニオイが残っているのでしょうね。
先月は母の故郷でもあり、私の生まれ故郷でもある静岡焼津へ行ってきました。
そのときのお話等は、またぼちぼちと。
あ、私はもう大丈夫なので、くれぐれもお気遣いなく。